日本歴史地名大系 「下ヨイチ場所」の解説
下ヨイチ場所
しもよいちばしよ
余市川の左岸一帯を中心に設定された場所。持場ともいう。下ヨイチは上ヨイチの北、ハルトルの南にある(山川地理取調図)。地名としては「蝦夷商賈聞書」に下与市とあるのが早い。元禄郷帳にみえる「もいれ」は場所の中心で、運上家が置かれたので(廻浦日記)、場所をモイレ領とも称した。ただし一七八一―八九年(天明年間)以前はモイレ側が上ヨイチであったという。当場所の知行は斎藤系松前家(松前藩家老左膳系)で、広行(平治左衛門)・広緩(木工)・広道(求馬)・主税・広政(左膳)・広当(内蔵)と継承された。請負人は一七八一―八九年頃に材木屋建部七郎左衛門・天満屋巻淵勘兵衛が受け、天満屋三四郎のあと藤野喜兵衛・竹屋林長左衛門と続いた(余市漁業発達史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報