下中邦彦(読み)シモナカ クニヒコ

20世紀日本人名事典 「下中邦彦」の解説

下中 邦彦
シモナカ クニヒコ

昭和・平成期の出版経営者 元・平凡社社長;元・日本書籍出版協会理事長。



生年
大正14(1925)年1月13日

没年
平成14(2002)年6月6日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
慶応義塾大学工学部応用化学科〔昭和22年〕卒

経歴
平凡社の創業者・下中弥三郎の四男に生まれる。長男急死により昭和22年平凡社に入社。編集局長を経て、昭和33年社長就任。「世界大百科事典」「国民百科事典」などを刊行し、“百科事典の平凡社”の名を高めた。38年「太陽」を創刊、豪華グラフ雑誌先鞭をつけたほか、アジアの古典シリーズ、東洋文庫を刊行するなど多角化路線を打出したが、業績不振が続き、59年退任。この間、48年サンリオ会長。平成8年日立製作所との合併会社の日立デジタル平凡社会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下中邦彦」の解説

下中邦彦 しもなか-くにひこ

1925-2002 昭和後期-平成時代の出版経営者。
大正14年1月13日生まれ。下中弥三郎の4男。父が創立した平凡社に昭和22年入社。編集局長をへて,33年社長。「国民百科事典」を刊行,「東洋文庫」シリーズや雑誌「太陽」の創刊など,多彩な出版活動をおこなう。45年日本書籍出版協会理事長。百科事典の売れ行きがふるわず経営危機をまねき,61年退陣。平成8年日立デジタル平凡社会長。平成14年6月6日死去。77歳。兵庫県出身。慶大工学部卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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