下久方村(読み)しもひさかたむら

日本歴史地名大系 「下久方村」の解説

下久方村
しもひさかたむら

[現在地名]桐生市東久方町ひがしひさかたちよう一―三丁目・西久方町にしひさかたちよう一―二丁目・天神町てんじんちよう一―三丁目

桐生川が山地から平地に流れ出る地域に位置。南は桐生新町きりゆうしんまち、北は上久方村、東は桐生川を境に下野国足利あしかが下菱しもびし村。近世初期に久方村・荒戸あらと村の一部を割き在郷町(桐生新町)を建設した(天正遺事「桐生市史」所収)。天正元年(一五七三)の藤生紀伊守宛由良成繁書状(由良文書)に「久方」とみえ当地年貢などを徴収することを命じている。

古くは上久方村と一村で、慶長年間(一五九六―一六一五)に分村したと伝えるが、寛文郷帳には久方村とみえ田方五二七石余・畑方七六七石余、館林藩領。天和二年(一六八二)の分郷配当帳に下久方村とみえ高六六八石余、旗本夏目・松平領など三給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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