日本歴史地名大系 「下伊良原村」の解説 下伊良原村しもいらはらむら 福岡県:京都郡犀川町下伊良原村[現在地名]犀川町下伊良原上高屋(かみたかや)村・横瀬(よこせ)村の南に位置し、祓(はらい)川上流域に点在する七集落からなる。もと伊良原村一村であったが、上・下二村に分立。分立時期は不明。年月日未詳の某書状案(永弘文書/大分県史料五)によれば、永正一三年(一五一六)一二月豊後で大友氏に反して敗れ、豊前道場寺(どうじようじ)(現行橋市)に潜伏していた朽網親満が「日田境伊らわら」に移り、吉弘親就や一万田六郎らと再挙兵について相談している。江戸時代中期の「塵壺集」に彦山座主舜有が天正七年(一五七九)一族の政所坊連長と家臣の伊良原因幡守善守を人質として秋月種実に差出したとある。伊良原は彦山神領であったとみられ、善守は当地の土豪と推測される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by