下作延村
しもさくのべむら
[現在地名]高津区下作延
北は久地村、南は上作延村、東は溝口村に接し、西は上作延村と村境が錯雑する。明治二一年(一八八八)の地誌(上田文書)によれば上作延村内に飛地二ヵ所がある。「風土記稿」は当村が稲毛領諸山の先端に位置し、東・北・西が丘陵、その間に田圃があると記す。正光寺屋敷・城山・天守台・鍛冶谷・地蔵谷などの小字がある。南を矢倉沢往還が通り、字松安寺谷より南の字笹原へ出る尾根道は根もちり坂とよばれる。小田原衆所領役帳には増田「七拾貫文 小机作延」とあり、天正一八年(一五九〇)四月日の豊臣秀吉禁制(東京都世田谷区立郷土資料館蔵)は「作延郷」に宛てられ、文禄三年(一五九四)の同郷検地帳(三田文書)が残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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