下倉敷村(読み)しもくらしきむら

日本歴史地名大系 「下倉敷村」の解説

下倉敷村
しもくらしきむら

[現在地名]美作町巨勢こせ

三倉田みくらた村の南にある。おお(三四二・五メートル)の西麓一帯を中心とし、東は海田かいた村。「東作誌」の記す枝郷の立地は大山おおやま以外は吉野よしの川左岸沿いにあり、北から畑沖はたおき・下倉敷本村・樫村かしむら上尾原かみおばら正保郷帳に村名がみえ、田七一石・畑一三七石余。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳では改出高四五石余・開高五四石余、村位は下。津山藩森氏断絶後は幕府領、元禄一四年甲斐甲府藩主徳川綱豊領、同一五年幕府領、享保一五年(一七三〇)大坂城代土岐領、寛保二年(一七四二)上野沼田藩主土岐領(美作国郷村支配記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android