巨勢郷(読み)こせごう

日本歴史地名大系 「巨勢郷」の解説

巨勢郷
こせごう

和名抄諸本とも訓を欠く。紀氏を出自とする巨勢氏にかかわる郷名とされる。「伯耆志」のみの村の項には同村の進氏について、昔は日野川西の坂中さかなか長者原ちようじやはら(現岸本町)に居住していた本姓紀氏を名乗る豪族であったと記し、また八幡やわた村の項には相見あいみ八幡宮(現米子市八幡神社)神職を勤めた相見氏はかつて巨勢氏を名乗り、進氏同様紀氏一族であったと記す。

巨勢郷
こせごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。「大和志」は「方廃越村存」として現高市郡明日香村大字こしに比定するが、現御所ごせ市大字古瀬こせ中心とする曾我川上流の巨勢谷一帯と考えられる。高市郡・吉野郡・葛上郡・宇智郡の境で、「延喜式」神名帳高市郡に「巨勢山坐石椋孫神社」「許世都比古命神社」、葛上郡に「巨勢山口神社」がみえ、高市・葛上両郡にコセ地名があった。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳では「巨勢東条」「巨勢西条」が葛上郡に属し、巨勢谷西南隅の重坂へさか(現御所市大字重阪)は天元四年(九八一)の太政官符案(彰考館本栄山寺文書)などによると宇智郡に属するなど、巨勢谷の所属は一様でなかった。

巨勢郷
こせごう

郷域は現佐賀市巨勢町辺りに比定され、本来佐賀郡条里の東南の隅に位置したと考えられる。

郷名は「肥前風土記」にはみえないが、風土記にいう佐嘉さか郡六ヵ郷の一と考えられる。

巨勢郷
こせごう

「和名抄」に訓はない。現高梁たかはし巨瀬こせ町を中心とした有漢うかん川の流域と推定されている。

巨勢郷
こせごう

「和名抄」は諸本とも訓を欠く。現英田郡美作町巨勢付近、吉野よしの川と梶並かじなみ川の合流点下流左岸を中心とする地域と考えられる。

巨勢郷
こせごう

現巨勢町・兵庫ひようご町一帯で、佐賀城下東部にあたる。低平な水田地帯で堀が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報