下八幡村(読み)しもやはたむら

日本歴史地名大系 「下八幡村」の解説

下八幡村
しもやはたむら

[現在地名]佐和田町八幡

上八幡村に接続し、海岸に沿う砂丘地とその後背湿地を耕地とする。地域全体が砂地。永享六年(一四三四)佐渡に流された世阿弥は「金島集」のなかで「さて西の方を見れば入海の浪白砂雪を帯びてみな白妙に見えたる中に松林一むら見えてまことに春六月の気色なるべし。この内に(社頭)まします八幡宮(勧請)の霊祠也。されば所をも八幡と申す」とあり、世阿弥はここが「玉葉集」の編者京極為兼の配所だと聞かされた。

「佐渡故実略記」に伝える「御代官所目録・河原田城付」では慶長九年(一六〇四)の村の分米高(年貢)は六〇一石七斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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