日本歴史地名大系 「下八里村」の解説 下八里村しもやさとむら 石川県:小松市旧能美郡地区下八里村[現在地名]小松市下八里町鍋谷(なべたに)川左岸にあり、西は河田(こうだ)村、東は上八里村。「しもやすと」とも発音する。かつては上八里村とともに弥里(いやさと)・八里とよばれたと思われ、得橋(とくはし)郷内に含まれた。八幡別宮領能美庄の惣公文職を暹覚から相伝したその後家平氏女は、文永七年(一二七〇)五月二〇日借銭の返済のため惣公文職と屋敷・名田畠を一二〇貫文で「いやさとどの」(弥里殿)に売却した(「平氏女売券」石清水文書)。八幡別宮供僧は関東下知状など担保となっていた証文を請出して、伝領した弥里某にこれを確認するとともに連絡を要請したが(九月一〇日「能美庄領家供僧長老承能書状」同文書)、連絡を得られなかったらしく、再度書状を送りその見参を要請している(一二月一八日「能美庄領家供僧尊賀書状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by