日本歴史地名大系 「下兵庫村」の解説
下兵庫村
しもひようごむら
[現在地名]坂井町下兵庫
坂井平野の中央部で、兵庫川右岸の自然堤防上に位置し、
下兵庫の呼称は江戸時代以前にはみられないが、「大乗院寺社雑事記」文明二年(一四七〇)七月一四日条に「河口庄郷々内村名」として「北兵庫の村」「舟津の村」などが記される。また同書同一六年一一月七日条は朝倉氏と甲斐氏の抗争を記し、当地近辺の様子を、「河口庄之内新庄郷・大口郷・関郷・細呂宜郷・溝江郷、此五箇所ハ悉以両陣之構ニ成之間、荒作毛払竹木了、百姓等逐電、兵庫郷内東郷ハ悉以苅田成了、北兵庫村ハ焼了」と述べている。
下兵庫村
しもひようごむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報