下加薗村(読み)しもかぞのむら

日本歴史地名大系 「下加薗村」の解説

下加薗村
しもかぞのむら

[現在地名]鹿沼市加園(かぞの)

荒井(あらい)川が村の中央を北西から南東に流れ、川上は上加薗村。東は下日向(しもひなた)村、南は野尻(のじり)村。中世には「賀薗」郷と称された。慶安郷帳では田一八〇石余・畑四一八石余、ほかに興禅(源)寺領七石。領主の変遷は上加薗村とほぼ同様だが、幕末は吹上藩領のみ(旧高旧領取調帳)。宝永七年(一七一〇)壬生(みぶ)通鹿沼宿の定助郷に編成され、勤高六一二石(「鹿沼町助郷帳」鹿沼市立図書館蔵)。安政六年(一八五九)野尻村で地芝居興行をめぐり騒動が勃発し、当村の者三三名が捕縛されている(「囚人預ケ場所并名前控帳」粂川誠市文書)。明治九年(一八七六)上加薗村と合併して加園村となる。字富士山に八幡宮がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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