下古山村(読み)しもこやまむら

日本歴史地名大系 「下古山村」の解説

下古山村
しもこやまむら

[現在地名]石橋町下古山

姿すがた川を挟んで長田ながた新田の東に位置し、南は上石橋かみいしばし村、北は上古山村。東部を日光街道が通り、街道沿いを通古山とおりこやまと称した。天文七年(一五三八)と推定される七月二八日の小山高朝書状(白川文書)にみえる「児山」は当地と考えられ、地内に児山こやま城がある。慶長一七年(一六一二)の関東八州真言宗諸寺連判留書案(醍醐寺文書)に下児山花蔵けぞう(華蔵寺)とある。慶安郷帳に村名がみえ、田六二四石余・畑四五八石余で宇都宮藩領。寛文四年(一六六四)の同藩領知目録には下児山村とある。元禄郷帳では旗本小坂・打越堀田水野・中条領の五給。元禄一一年(一六九八)の村明細帳(飯野幾内文書)は村高二〇四石余とあることから中条分か水野分の書上であるが、田一一町三反余・畑一九町九反余、茶銭・漆銭・芝山運上が課せられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む