石橋町(読み)いしばしちよう

日本歴史地名大系 「石橋町」の解説

石橋町
いしばしちよう

[現在地名]松江市石橋町

北堀きたほり町の北に位置し、東は菅田すがた村、北は奥谷おくだに村、西は同村に形成された城下の屋敷地の一部に接する。堀尾時代城下図では当地の北東部などに武家屋敷がみられる。延享城下図になると町並が拡大し、南端部には町屋が並ぶ。「雲陽大数録」に町名がみえ、「石橋縄手七十年以前明和三丙戌、桁ノ内ト云ツテ、田地計リ也、依テ今ニ年貢地ナリ」とある。文化八年(一八一一)以降火消組はほ組に属し、組の火消は一三人(「失火吟味書留」松江市誌)。高野山真言宗千手せんじゆ院は堀尾吉晴による松江築城に際して富田とだ(現広瀬町)から移され、松江城の鬼門除けとされた(松江市誌)


石橋町
いしばしちよう

[現在地名]鈴鹿市神戸かんべ二丁目

しん町の西にあり、町名は真黒まくろ川に架かる石橋にちなむ。古くは寺家じけ町ともいったことは龍光りようこう寺の門前町の性格があったからであろう。天正一三年(一五八五)羽柴下総介の免許状(高野家文書)に、十日市とおかいち町・小山おやま町・しん町と当町域内には神戸信孝以来の特権(地子免許)を認めるとある。享保一七年(一七三二)町の長さ一町四一間、戸数四一(九皐抄)、文政八年(一八二五)戸数四〇(高野家家譜)、明治二年(一八六九)戸数四九(伊藤家文書)


石橋町
いしばしちよう

東山区古門前通大和大路東入四丁目

知恩院総門の正面、古門前ふるもんぜん通をはさんで南北両側に位置。東はしら川に架かる石橋によって知恩院境内に通じ、南も白川の中橋なかばしによって梅本町に対する。

宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「石橋町 此町、北へ行ば高畠町也。(中略)此西の辻、南へ行所を切通と云。又中ばしとも云。新門前へ出る」とみえる。町名は白川に架かる石橋にちなむが、この石橋は知恩院門前の代名詞のように地誌類で言及されることが多い。石橋町の称は正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名家数改帳(荻野家文書)以後で、当時の家数は二六軒を数えた。

江戸時代には町の南側に肥前平戸松平家、肥後熊本細川家の藩邸が置かれたが、明治三年(一八七〇)官に接収され、のち民有に帰した。


石橋町
いしばしちよう

中京区三条通寺町東入

三条さんじよう通を挟む両側町で、西側は寺町てらまち通と接する。

応永三二年(一四二五)一一月一〇日付酒屋交名(北野天満宮史料)には「少輔 三条京極東南頬 源有」の名がみえる。

町名は寛永以後万治以前京都全図に「石はしノ丁」とみえる。寛文後期洛中洛外之絵図・寛文末期洛中洛外大図等は「柳ノ下町」とし、元禄末期洛中絵図・天明六年(一七八六)京都洛中洛外絵図では「石橋丁」と記す。木版図系では、寛永一八年(一六四一)以前平安城町並図は「三条口」とするが寛永版平安城東西南北町並之図は「柳の下町」とある。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「石橋町、俗に柳之下とも云」とあり、両町名が併用されたと思われる。


石橋町
いしばしまち

[現在地名]大津市長等ながら二丁目

船頭せんどう町の南に位置する。楊枝屋ようじや町とも。天和二年(一六八二)の本堂奉加帳(九品寺文書)に町名がみえ、元禄八年町絵図では家数二〇。町屋のすぐ裏に面して牢屋敷が置かれ、「大津古事留帳」に「石橋町牢屋敷弐ケ所、但し南西壱棟瓦葺、東の方、桁行三間弐尺半、梁行弐間弐尺、壱ケ所、西の方、同断、弐間弐尺、壱ケ所」とある。元禄八年町絵図には籠屋敷とみえ、表通りから幅二間余の通路が設けられ、本牢二棟・瓦葺のサヤ(牢屋の外囲い)一棟、身分の高い未決囚を収容する揚屋が東西に二軒、責蔵(拷問蔵)一ヵ所が併設されていた。


石橋町
いしばしまち

面積:二二・七九平方キロ

郡域北東部、宇都宮市の南に位置する。西は壬生みぶ町、南は国分寺こくぶんじ町、東は河内かわち上三川かみのかわ町・南河内町と接する。町域は平坦で、ほぼ中央をおもい川支流の姿すがた川が南流する。東端をJR東北本線・東北新幹線および国道四号が南北に通り、東西に国道三五二号が通る。姿川左岸に中世宇都宮氏一族の児山朝定が築城したと伝える児山こやま城があり、その城館跡は県指定史跡になっている。近世は現町域に一二ヵ村あり(元禄郷帳)、北部の下古山しもこやま村・上古山村は高一千三〇〇石を超える村高を示した。


石橋町
いしばしちよう

中京区御池通西洞院西入

東西に通る御池おいけ(旧三条坊門小路)の両側町。町の西寄りを南北に小川おがわ通が通る。

平安京の条坊では、町の南側は左京三条二坊三保一四町北、同北側は同四保一五町南。平安中期以降は三条坊門西洞院大路の西。町の北側は平安時代閑院の地にあたる(拾芥抄)


石橋町
いしばしまち

[現在地名]福江市福江町

福江城の西に位置する。寛永一一年(一六三四)福江直りに伴って町割が行われた武家屋敷町の一つで、同年の屋敷数一一(五島編年史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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