日本歴史地名大系 「下吉野村」の解説 下吉野村しもよしのむら 福井県:吉田郡松岡町下吉野村[現在地名]松岡町吉野(よしの)吉野谷の北部谷口にある。南西は野中小畑(のなかおばた)村、北西は吉野境(よしのざかい)村。村の北側を永平寺(えいへいじ)道が通り、東の越坂(こいさか)峠を越えると志比谷(しひだに)の京善(きようぜん)村(現永平寺町)。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では吉野庄に含まれるが、永正二年(一五〇五)三月二五日付吉野下保住人窪太郎左衛門尉吉久寄進状(昌蔵寺文書)に「吉野下保金屋名之内抜田之事」とみえる「吉野下保」や、慶長一五年一〇月二六日付徳善寺惣門徒中言上書(同文書)にみえる「吉野村」は当村をさすと思われ、正保郷帳から下吉野村とみえる。 下吉野村しもよしのむら 新潟県:上越市旧直江津市地区下吉野村[現在地名]上越市下吉野上名柄(かみながら)村の北、保倉(ほくら)川左岸に位置し、対岸とは渡しで結ばれた。地名吉野は戦国期(年月日欠)の高梨氏所領注文(高梨文書)にみえる。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「藤田分此外五方分下吉野村 下」とみえ、本納一〇三石五斗・縄高三七八石六斗四升七合・家一三軒・五二人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by