下土師村
しもはじむら
[現在地名]茨城町下土師
涸沼川の右岸に位置し、西は下飯沼村。永享七年(一四三五)の富有注文(続常陸遺文)に宍戸庄内の郷として下土師郷が載る。慶長七年(一六〇二)秋田氏領となったことを示す御知行之覚(秋田家文書)に、下はち村七六八石がある。江戸時代は天領・旗本領で元禄郷帳に「下土師村」とみえ、幕末は天領の高五〇七・八石余、旗本知行地は駒井氏七六石余・青沼氏六〇石弱・天野氏五九石弱・前島氏五九石余のほか息栖神社・西光寺の朱印地各三石である(各村旧高簿)。当村は湊村(現那珂湊市)より約七里で、涸沼川を舟がこの辺りまで遡航していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 