下富安村(読み)しもとみやすむら

日本歴史地名大系 「下富安村」の解説

下富安村
しもとみやすむら

[現在地名]御坊市湯川ゆかわ富安とみやす

丸山まるやま村の北東に位置し、南はいつき川を隔てて小松原こまつばら村。北は上富安村熊野街道に沿い、村内に熊野九十九王子の一つ善童子ぜんどうじ王子跡がある。中世富安庄に含まれた。

慶長検地高目録に下富安村として高六四六石余がみえるが、慶長六年(一六〇一)の下富安村検地帳(「御坊市史」所収)の内容はほとんど小松原村のことで、慶長期の下富安村とは後の小松原村をさす。慶長検地高目録の上富安村(八六三石余)は慶安(一六四八―五二)以降に新たに上富安村・下富安村に分れたという(続風土記)。なお当村は近世初期には和歌山藩新宮領であったが、承応二年(一六五三)の替地により和歌山本藩領となった(新宮藩御勘定方旧記「和歌山県史」所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android