下川原用水路
したごらようすいろ
高原町広原地内で高崎川から出水し、北東流して町の中心部を通り、さらに南東流して高崎町に入り、流末は大淀川に落ちる。高原郷・高崎郷の新田開発のために鹿児島藩により開削された用水路で、嘉永元年(一八四八)春着工、以後三年余の歳月と三千両ともいわれる莫大な藩費を費やす大工事となった。鹿児島から派遣された郡奉行平島氏は、当地域からは女夫で延べ数千人、小林、野尻(現野尻町)・高崎からは毎日二、三百人、薩摩地方から五〇〇余人を動員し、賃金として男は上三〇〇文・中二五〇文・下二〇〇文、女夫には上二二四文・中一〇〇文・下八〇文を支払ったという(高原町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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