下川原町・新川原町(読み)しもかわらまち・しんかわらまち

日本歴史地名大系 「下川原町・新川原町」の解説

下川原町・新川原町
しもかわらまち・しんかわらまち

[現在地名]富山市日之出町ひのでまち・新川原町・八人町はちにんまち

小島こじま町の西、同町および北横きたよこ町に並行して南北に延びる両側町。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図に両町とも記載され、前田利次による町割当初からの町。ともに田地方のうち。同絵図および万治年間富山旧市街図は、仁右衛門によえもん町から北に続く町並を下川原町とし、続いてさらに北に延びる町並を新川原町とするが、安政元年(一八五四)の富山城下絵図(県立図書館蔵)は新川原町を川原町の西側に並行する町並とし、両町は北端で合さり北西に延びて下木しもき町に至る。安永八年(一七七九)の下川原町の本家数二一・貸家数一九で、二丁目まで、新川原町の本家数六三・貸家数五七で、四丁目まであった(「町方旧記抜書」前田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android