下御宇田村(読み)しもみうたむら

日本歴史地名大系 「下御宇田村」の解説

下御宇田村
しもみうたむら

[現在地名]鹿本町御宇田みうた

北の蒲生かもう(現山鹿市)から続く御宇田の台地の南縁にあり、東は上御宇田村、南はしん町、西は方保田かとうだ(現山鹿市)と接する。康暦元年(一三七九)九月六日の今川了俊書状写(阿蘇家文書)に「三年田」、年未詳一二月三〇日の菊池武時書状(五条家文書)には「御宇田」とある(→上御宇田村。慶長国絵図に村名がみえ、近世山鹿やまが郡中村手永に属した。正保郷帳では高一千二九二石九斗余、うち田八四四石八斗余・畑四四八石一斗余。宝暦一二年(一七六二)の下ケ名寄帳によると田畑一一七町七反六畝余・高一千七六石五斗余、うち上知・御給知が一〇七町六反余・高一千七〇石六斗余で、上り開・野開・茶床・楮床などが九町二反余である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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