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下志津原 しもしづはら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

下志津原
しもしづはら

千葉県北西部,印旛沼の南部を占める下総台地の一部。面積 24km2。江戸時代,佐倉藩所領鷹狩の地。明治以降,軍用地になり,日本砲兵軍隊の発祥地で,陸軍野戦砲兵学校や下志津陸軍飛行学校などがおかれた。軍施設の拡大につれて市街地が形成され,四街道市の基盤となった。第2次世界大戦後,多数の旧軍人が入植。旧軍施設に引揚げ者や戦災者を受入れて人口が急増。一部は国立病院や大学などに利用。内陸工業団地も形成されている。近年 JR総武本線沿線の住宅地の造成が進み,東関東自動車道も開通して変貌が著しい。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典内の下志津原の言及

【下総台地】より

…開析谷の出口が利根川のはんらん原堆積物にふさがれて生じた手賀沼,印旛(いんば)沼はこの台地の西半部北側にある。国府台(こうのだい),習志野,下志津原など台地面上の原野を示す地名が多く,近世には佐倉七牧,小金五牧などの幕府の牧場がおかれていた。谷沿いや台地の端の集落は根古谷(ねごや)(現,八街(やちまた)町)など中世起源のものが多いが,台地上では明治以降開拓が進み,豊四季,十余二(とよふた)(ともに現,柏市),八街などは明治初年以降の開拓集落であり,陸軍の演習場であった下志津原などは第2次大戦後の開拓集落である。…

【四街道[市]】より

…市名は市街地西部の佐倉街道と成田街道との交差点を,四街道と呼んだことに由来する。市域は下総(両総)台地の一部である下志津原に広がり,かつては六方野(ろつぽうの)と呼ばれる原野で,近世には佐倉藩主らの鷹狩の場所であった。ここに幕末になって佐倉藩の砲術練習場,1874年には陸軍練兵場,86年陸軍砲兵射的学校(のちの砲兵射撃学校)が置かれ,軍都として発展した。…

※「下志津原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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