日本歴史地名大系 「下愛子村」の解説 下愛子村しもあやしむら 宮城県:宮城郡宮城町下愛子村[現在地名]宮城町下愛子芋沢(いもざわ)村の南、作並(さくなみ)街道に沿う街村で正保郷帳には下愛子宿とある。同街道と平行して東流する広瀬川南岸の河岸段丘に位置。西に上愛子村が続き二村を合せて愛子村ともいった。南方名取郡茂庭(もにわ)村(現仙台市)との境に蕃(ばん)山・西風蕃(ならいばん)山がある(仙台市の→蕃山)。「安永風土記」に「当村横町と申所ニ相立申候子愛観音有之候を以、当村之名ニ申来候由」とあり、愛子の地名は「子愛(こあやし)観音」の「子愛」に起因しているといわれる。子愛観音は同書によれば「木仏坐像、御長七寸、定澄作」と伝えられ、後背の裏に「文治三年九月吉祥日」「子愛観音」の銘がある。現在、下愛子横町(よこまち)の旧補陀(ほだ)寺跡境内の子愛観音堂に安置されている。元和八年(一六二二)一一月、「あやし村」で坊主が夜討にあうという事件があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by