下手渡藩(読み)しもてどはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「下手渡藩」の意味・わかりやすい解説

下手渡藩
しもてどはん

江戸時代後期より陸奥(むつ)国伊達(だて)郡下手渡(福島県伊達市)周辺などを領有した外様(とざま)小藩。1806年(文化3)筑後(ちくご)国(福岡県)三池(みいけ)1万石の立花種善(たちばなたねよし)が伊達郡内に移され、下手渡1万石として立藩した。種善のあと種温(たねはる)、種恭(たねゆき)(老中格)と在封。1850年(嘉永3)種恭のとき、伊達郡内3000石余が旧領三池郡内5000石余と領地替となった。1868年(慶応4)戊辰(ぼしん)戦争で態度不明のため仙台藩に攻撃されて、居所が焼失したので旧領の三池に移り、廃藩となった。

[細井 計]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下手渡藩」の意味・わかりやすい解説

下手渡藩
しもてどはん

江戸時代,陸奥国伊達郡 (福島県) の下手渡地方を領した藩。文化3 (1806) 年立花氏が筑後柳川藩の支封として1万石で三池より入封,廃藩置県にいたる。ただし,藩庁は明治1 (68) 年三池に移った。外様,江戸城柳間詰。

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世界大百科事典(旧版)内の下手渡藩の言及

【月舘[町]】より

…福島市の東にあり,四方を阿武隈高地の山々に囲まれた盆地性の地形を示す。1806年(文化3)筑後の三池から立花氏が1万石で入封,下手渡(しもてど)藩の藩庁所在地となり,陣屋が設置されたが,戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わらず,仙台藩の攻撃を受けて焼失した。米作,養蚕を中心とする農業から,米の生産調整を機に果樹,野菜などのハウス園芸が盛んになった。…

【福島[県]】より


[沿革]
 県域はかつての陸奥国南部,明治の分国後は岩代(いわしろ)国全域および磐城(いわき)国南半にあたる。1868年(明治1)1月には会津藩二本松藩福島藩,下手渡(しもてど)藩,三春藩,棚倉藩,守山藩,磐城平藩,泉藩,中村藩,湯長谷(ゆながや)藩と,飛地,天領が入り組んでいた。同年の会津戦争後,いちはやく新政府に帰順した守山,三春,中村などを除き,奥羽越列藩同盟に参加した多くの藩は,新政府側諸藩に預けられ,まもなく旧天領とともに各民政取締所(後に民政局と改称)の支配下に置かれた。…

※「下手渡藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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