下打穴下村(読み)しもうたのしもむら

日本歴史地名大系 「下打穴下村」の解説

下打穴下村
しもうたのしもむら

[現在地名]中央町打穴下うたのしも

村の北を津山西川にしがわ(現旭町)を結ぶ街道が通り、その北は錦織にしこり村、西は戸脇とわき(現久米町)、南は下打穴中村。村域中央を津山往来出雲往来を結ぶ大山だいせん道が南北に通る。大山道に沿って打穴川が北流し、中央部と北は耕地の多い平坦地で、東と西は丘陵となる。もと下打穴村で、正保四年(一六四七)下・中・西に分村した(作陽誌)。元禄一〇年(一六九七)の美作国郷村帳では下打穴下村は高四七九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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