下折壁村(読み)しもおりかべむら

日本歴史地名大系 「下折壁村」の解説

下折壁村
しもおりかべむら

[現在地名]室根村折壁おりかべ

上折壁村の東、室根山南麓にあり、北東宝境ほうきよう(五六二メートル)君が鼻きみがはな山の山々。南部を東流するおお川が、南流してきた田茂木たもぎ川を合せて浜横沢はまよこさわ村へ南流する。大川沿いに気仙沼けせんぬま街道が通る。天正二年(一五七四)五月一七日の葛西晴信寄進状(折壁金森文書)に「磐井郡東山折壁村」とみえる。慶長六年(一六〇一)八月二日の留守政景知行目録写(留守文書)に「下おりかへ」とあり、八七貫四五二文が留守政景知行となっている。

寛永一九年(一六四二)の下折壁村検地帳(県立図書館蔵)によれば田方七〇町一反余・代八一貫五九六文、畑方一五一町七反余・代三五貫二六六文、茶畑二一歩・代二一文、名請人数七七。正保郷帳では田七〇貫四六九文・畑三一貫九六四文、ほかに新田一四貫四三二文があり、小松山・水損と注記される。万治三年(一六六〇)気仙沼街道宿駅が上折壁村から当村に移され、町場が整備された。仙台藩領となった初めは伊達家一族高木氏の知行地。寛永一四年高木氏所替後は真山氏(二千石)の知行地となり、同氏は町裏まちうらに館を構え(所拝領)、明治まで居所とした。「宝暦職鑑」では侍屋敷三五・足軽屋敷五〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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