下本田村(読み)しもほんでんむら

日本歴史地名大系 「下本田村」の解説

下本田村
しもほんでんむら

[現在地名]穂積町本田ほんでん

只越ただこし村の北に位置し、東を糸貫いとぬき川、西を五六ごろく川に挟まれた平坦低地に立地。中央やや東よりをなか川が南流。おもな集落は中川東岸の仁井にいにあり、その他も中川沿いに点在。中世は上本田村とともに船木ふなき庄本田郷として推移。戦国時代本田城に寺西備中守が拠ったという(新撰美濃志)。一色義竜の臣日根野備中守の居城ともされる。天正一〇年(一五八二)旧領を回復せんとする安藤守就父子が、当地に拠って稲葉一鉄勢と合戦し敗れた(美濃国諸旧記)

関ヶ原合戦後の領主牛牧うしき村と同じ。慶長郷帳では本田村一村で高一千四九六石余。加納藩家中知行渡方帳(森文書)によれば、慶長一七年(一六一二)から数年間は重臣山崎内蔵允ほか二〇名の給地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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