下杉原村(読み)しもすぎはらむら

日本歴史地名大系 「下杉原村」の解説

下杉原村
しもすぎはらむら

[現在地名]会津高田町旭杉原あさひすぎはら

上杉原村の東に連なり、若松から金山かねやま谷への道に沿う。小名馬墓うまのはか本村の東一町二〇間にある。もと杉原村で近世初期に上下に分れたという。近世は会津領から寛永二〇年(一六四三)以降南山御蔵入領で、冑組に属した。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録には杉原村とある。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高二六三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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