下柚野村(読み)しもゆのむら

日本歴史地名大系 「下柚野村」の解説

下柚野村
しもゆのむら

[現在地名]芝川町下柚野

鳥波とりなみ村の北、大鹿窪おおしかくぼ村の西に位置する。中世湯野ゆの郷は由野・遊野・油野とも記され、現上柚野・下柚野付近に比定される。天文一〇年(一五四一)一〇月四日の武田家朱印状写(判物証文写)に「湯野」とみえ当地内の三貫文の地が佐野源右衛門尉に給与されている。永禄一一年(一五六八)暮れの武田氏の駿河侵攻に際しては当地も戦場となり、翌年一月一八日の遊野における戦闘で鈴木助一が敵一人を討取っている(同年三月二三日「北条氏政感状写」静嘉堂本集古文書)。同年一二月一七日氏政は富士浅間社(富士山本宮浅間大社)大宮司富士信忠に対し、武田方に奪われた大宮おおみや(現富士宮市)を奪回すれば遊野郷を含む一四ヵ所の地を与えると約束している(「北条氏政判物」大宮司富士家文書)。しかし武田方の優勢は動かず、翌一三年二月二〇日武田氏は「湯野」のうち一貫五〇〇文の地ほかを朝倉弥六郎に与え(「武田家朱印状写」紀伊国古文書所収藩中古文書)、元亀元年(一五七〇)一二月四日葛山氏の本領であった由野のうち七〇貫文の地を御宿友綱に与えている(「武田家朱印状」御宿文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報