下樫出村
しもかしいでむら
樫出原とか樫出平とよばれる段丘上にあり、東は山口村、西は山屋村、南は上樫出村、北は二ッ郷屋村。古くは上樫出村と一村であったが、耕地などの関係で分離したという。草分は屋号カチュータの関根一男家と屋号東の勝沼貢家という。永禄三年(一五六〇)一〇月吉日の貫屋家兼売券案(来田文書)には「下かしゐて」とみえる。段丘上にあるため水利はあまり恵まれないが、元和六年(一六二〇)の長岡藩知行目録に高一九二石。寛政七年(一七九五)の栃尾組検地帳書抜(金内襄治氏蔵)によると、正保二年(一六四五)の検地では高一九八石一斗(うち新田三石六斗余)で、惣反別一四町四反余のうち田地は八割余あり、上田が三分の一を占める。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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