寺院に備える死者の名簿。多く1ヵ月30日の忌日ごとにまとめて記載されてあり,戒名と死亡年月日と俗名を記している。中にはその出自と戸主との続柄を書いたものもあり,死亡原因,たとえば何年の地震や津波,疫病,戦死などを記したものがあって,その当時の状況をうかがわせることがある。したがって古い過去帳は史料的価値があり,人口動態を知る手がかりにもなる。過去帳の目的はその寺にゆかりのある死者を,毎月の命日ごとに朝暮勤行で回向するためである。そのために忌日ごとにまとめてあるもので,30枚の板に戒名を書いておいて,毎日入れ換える〈繰出し〉式過去帳もある。しかしすべての寺にかならず過去帳を備えるようになったのは,江戸時代初期に宗門改め制度ができたためである。過去帳は宗門改帳(宗門人別改帳)とともに,寺が檀家を把握する基本台帳となった。したがって過去帳は元禄前後からのものが多いが,中世から書き継がれたものもないわけではない。《下総国小金本土寺過去帳》や《常陸国赤浜妙法寺過去帳》(両者とも《続群書類従》所収)などがそれで,室町初期から書かれている。前者の前書には〈梵漢和三州之過去帳縁起〉とあって,大過去帳はインドからあったという。そして日本では比叡山延暦寺に貞観年中以来の過去帳があるというが,過去帳の初めは平安中期の二十五三昧講の過去帳からはじまったことは疑いをいれない。これは二十五三昧講が,結衆の中に死者があれば,残った講衆が毎月その回向をしながら相続したからである。そのためには先亡者の戒名を次々に記入した掛軸を掛けて,念仏と読経で回向しなければならなかった。それをしめす掛軸型過去帳は,現在でも二十五三昧講の後身である六斎念仏講に残っている。この掛軸は中央に阿弥陀如来像か六字名号を書き,そのまわりに縦横の線で短冊形の区画を作り,ここに戒名を記入してゆくのである。大和当麻寺の当麻曼荼羅厨子の扉がこの形式になっているのは,奉加者の過去帳を兼ねたからであろう。すなわち過去帳は講の過去帳が古く,講衆の奉加によって建立経営される寺の過去帳となり,近世には宗門改め制度の過去帳になった。現在もこの形式の過去帳が寺々に備えられている。また個人の仏壇にも小さな過去帳を備えたところもあり,また繰出し式の小板に戒名を書いて,その仏の命日にこれを出して,朝の回向をする家もある。
執筆者:五来 重
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寺院が、檀信徒(だんしんと)の死亡年月日、法(戒)名、俗名、年齢などを記載する帳簿。点鬼簿(てんきぼ)、霊簿ともいう。『続日本紀(しょくにほんぎ)』にみえる点鬼簿がそのもっとも早い例と考えられる。また円仁(えんにん)が結集(けつじゅう)の名前を記した結集名簿もこの一種である。『平家物語』に「後白河(ごしらかわ)法皇の長講堂の過去帳」とみえるのが名称のうえでは初見である。中世には時衆(じしゅ)(時宗(じしゅう)の僧俗)において重視され、これに記載されることによって往生(おうじょう)とみなされた。1279年(弘安2)6月から他阿真教(たあしんきょう)によって記され始め、30代遊行上人(ゆぎょうしょうにん)まで書き継がれた神奈川県藤沢市の清浄光寺(しょうじょうこうじ)(遊行寺)の『時衆過去帳』(国の重要文化財)は著名である。近世に入って寺檀(じだん)制度が成立すると、過去帳は全寺院に備えられるものとなった。1635年(寛永12)の寺社奉行(ぶぎょう)設置と寺請(てらうけ)制度の開始がその契機となっており、この年以前の過去帳はきわめてまれである。様式的には、命日ごとに記載した日割過去帳と死亡順に記載したものとがあるが、前者は、日めくり形式で日々の供養を目的としたものである。
[大桑 斉]
霊簿(りょうぼ)・鬼籍簿(きせきぼ)とも。死者の戒名や死亡年月日などを記した帳簿。死者の供養をするため作られたもので,「金剛峰寺恒例彼岸廻向道俗結縁過去帳」など鎌倉時代からみられた。古くは死去の年月順に記した逐年式だったが,江戸時代には年月に関係なく日ごとに法名を並べた日牌式のものが多く作られた。17世紀前半の檀家制度の確立にともない,寺では檀家の過去帳が作られた。
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