下津郡・下郡(読み)しもつぐん・しもぐん

日本歴史地名大系 「下津郡・下郡」の解説

下津郡・下郡
しもつぐん・しもぐん

中世に用いられた対馬の郡名。上津郡・上郡とともに、古代以来の上県郡下県郡の地域と名称を継承し転化したものと考えられるが、これは行政地名ではなく、広域通称であったと考えられる。中世には対馬八郡と称された諸郡のほうが支配単位として実質的なまとまりをみせていた。文永四年(一二六七)二月二〇日の講師某注進状写(八幡宮文書)に上郡とあるので、この頃までに下郡の称もあったのであろう。正応元年(一二八八)惟宗忠弘は正八幡宮惣検校に対して、社殿造営が遅滞しているので年内に終了することなどを命じるとともに、「下津郡御年貢并津料」などを抑留する者は重大な事態を招くことを伝えている(同年七月二二日「対馬国国宣案」海神神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む