日本歴史地名大系 「下浦部」の解説 下浦部しもうらべ 長崎県:南松浦郡浦部島下浦部中世にみえる広域通称名で、下浦目(しらうらめ)・下浦辺とも記される。浦部島の西部をいう西浦部のうち南部にあたるが、同じく島の中央部をさしたと考えられる中浦部との境は判然としない。史料上は現若松(わかまつ)町域に比定される。文保元年(一三一七)一一月日の白魚行覚申状案(青方文書、以下同文書)に「浦部島内下浦部」とみえ、行覚は下浦部の佐保(さほ)・白魚(しろいお)(現若松町)などを押領したとして峰貞を訴えている。下浦部の滝講浦(たきごううら)(現若松町)には波佐見親平の所領があり、正中二年(一三二五)に青方高継(覚性)は筑前博多の住人藤原氏女との相論に際して親平を証人とするよう求めている(同年三月一三日青方高継請文案)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by