下源入村(読み)しもげんにゆうむら

日本歴史地名大系 「下源入村」の解説

下源入村
しもげんにゆうむら

[現在地名]上越市下源入

松村(まつむら)新田の南、戸野目(とのめ)川左岸に位置。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図には「おうけ川」(関川)と「三た川」(戸野目川)の中間辺りに集落が描かれ、「嵯峨野喜三郎分石坂将監分岩舟藤左衛門分丸山門之丞分下玄女村 下」とある。本納五五石一斗六合・縄高一二六石二斗一升・家三軒・一三人。集落西方の「おうけ川」には木造橋が架かっており、これを応化(おうげ)橋と伝える。この橋は戦国時代にも架かっており、戦略上の要衝であった。天正七年(一五七九)と推定される二月一八日付の猿毛(さるげ)城(現中頸城郡柿崎町)上野九兵衛尉宛山崎秀仙(専柳斎)書状(歴代古案)に「早々あふけ(応化)のはしまで可差越候事、一刻も可被急候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

アジア諸国の友好と平和促進とを目的としたスポーツ大会。第1回は1951年にインドで開催。原則としてオリンピックの中間年に行われる。主催はアジア‐オリンピック評議会。→アジア冬季競技大会...

アジア競技大会の用語解説を読む