日本歴史地名大系 「下溝村」の解説 下溝村しもみぞむら 神奈川県:相模原市下溝村[現在地名]相模原市下溝・麻溝台(あさみぞだい)・緑が丘(みどりがおか)一―二丁目・大野台(おおのだい)三―四丁目・北里(きたざと)一―二丁目・双葉(ふたば)一丁目・御園(みその)四丁目・陽光台(ようこうだい)七丁目横山(よこやま)段丘が中央を南北に連なり、その西を道保(どうほ)川・姥(うば)川・鳩(はと)川が流れ、天応(てんのう)院の南方で姥川が、南端の大下(おおじも)で道保川が鳩川に合流する。西北は上溝(かみみぞ)村、東は相模野を隔てて淵野辺(ふちのべ)村と当麻(たいま)村飛地、西は当麻村、西南端で相模川を隔てて愛甲(あいこう)郡上依知(かみえち)村(現厚木市)に対する。横山上の台地に鹿沼(かぬま)谷の窪地がある。南北に八王子道が通る。西南から東北に通る矢倉沢(やぐらさわ)脇往還(木曾道)の原中には元和三年(一六一七)徳川家康の遺骨を日光に移した際築いたという二ッ塚と称される一里塚があった。「甲陽軍鑑」に「みそ」とある。天文年中(一五三二―五五)に上下二村に分村したという(皇国地誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by