青山忠俊(読み)アオヤマタダトシ

デジタル大辞泉 「青山忠俊」の意味・読み・例文・類語

あおやま‐ただとし〔あをやま‐〕【青山忠俊】

[1578~1643]江戸初期の老中。武蔵岩槻城主。徳川秀忠近侍し、のち家光の補導役となったが、諫言勘気にふれて改易された。

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精選版 日本国語大辞典 「青山忠俊」の意味・読み・例文・類語

あおやま‐ただとし【青山忠俊】

  1. 江戸初期の老中。武蔵岩槻藩主。忠成の子。徳川家光の補佐役として、酒井忠世土井利勝と共に「寛永三輔」と呼ばれた。天正六~寛永二〇年(一五七八‐一六四三

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改訂新版 世界大百科事典 「青山忠俊」の意味・わかりやすい解説

青山忠俊 (あおやまただとし)
生没年:1578-1643(天正6-寛永20)

江戸初期の老中。通称藤五郎。伯耆守。父は幕府重臣の忠成。幼少のころより徳川秀忠に近侍。のち家光の傅(もり)となり父の遺領を合わせ3万5000石を領した。大坂の陣では勇戦し武将としての名を挙げた。のち,酒井忠世,土井利勝とともに家光を補佐し(寛永の三輔),1616年(元和2)老中となる。忠俊は家光補佐役としてしばしば諫言したためか左遷され,相模国今泉に蟄居死去
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朝日日本歴史人物事典 「青山忠俊」の解説

青山忠俊

没年:寛永20(1643)
生年:天正6(1578)
江戸前期の幕府老職。通称は藤五郎,官職名は伯耆守,関東総奉行忠成の次男。徳川秀忠に近侍,慶長12(1607)年徳川家光に付属され,15年書院番頭となる。18年父の遺領と合わせて3万5000石を領知。大坂の陣で勇戦。元和1(1615)年酒井忠世,土井利勝と共に家光の輔導役となり,のちに寛永の三輔と俗称される。2年老職(のちの老中)に就任し,6年武蔵岩槻(埼玉県)4万5000石に封ぜられる。度重なる直言のため家光の勘気を受け,9年上総(千葉県)大多喜2万石に減封,のちに蟄居。相模(神奈川県)今泉村で死去。男色や女装を好む家光に諫言し,将軍教育を行ったとされる。

(しらが康義)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青山忠俊」の解説

青山忠俊 あおやま-ただとし

1578-1643 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)6年2月10日生まれ。青山忠成の次男。元和(げんな)元年徳川家光の補導役となり,翌年老中。6年武蔵(むさし)岩槻(いわつき)藩(埼玉県)4万5000石の藩主となるが,将軍家光にしばしば直言したため,9年上総(かずさ)(千葉県)大多喜藩2万石に減封され,のち蟄居(ちっきょ)。寛永20年4月15日死去。66歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。初名は光俊。通称は藤五郎。官職名は伯耆守(ほうきのかみ)。

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367日誕生日大事典 「青山忠俊」の解説

青山忠俊 (あおやまただとし)

生年月日:1578年2月10日
安土桃山時代;江戸時代前期の大名
1643年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の青山忠俊の言及

【徳川家光】より

…幼時,両親の愛情は弟国千代(忠長)にそそがれていたが,祖父家康が嫡庶の序にしたがい世子と定めさせたと伝えている。1615年(元和1)家康と秀忠は竹千代の守役として酒井忠世・土井利勝・青山忠俊を任命,輔翼させた。20年元服,従二位権大納言となる。…

※「青山忠俊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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