日本歴史地名大系 「下片原町・上片原町」の解説 下片原町・上片原町しもかたはらまち・かみかたはらまち 滋賀県:大津市大津町下片原町・上片原町[現在地名]大津市逢坂(おうさか)一丁目上関寺(かみせきでら)町の南に続く東海道沿いの町並。寛保二年町絵図では当町付近で街道が西にゆっくり曲がり、北側より下片原町・上片原町と連なるが、町屋は東側にのみ並ぶ。街道は逢坂峠でさらに西進し、大谷(おおたに)町に向かう。天正二〇年(一五九二)一〇月、豊臣秀吉が逢坂山近くに一里塚を築いた際、「片原町」から人足を出している(園城寺旧記)。元禄八年町絵図によれば下片原町は家数四三で、町屋の裏手は藪地、街道の向い側は畑地と岩場になっている。番屋はこの畑地のほうに建てられる。町の北の一画に木戸門と考えられる門がある。慶応元年(一八六五)大津宿役を負担した役家数は上片原町五〇軒・下片原町四二軒(大津市志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by