谷風梶之助(読み)タニカゼカジノスケ

デジタル大辞泉 「谷風梶之助」の意味・読み・例文・類語

たにかぜ‐かじのすけ〔‐かぢのすけ〕【谷風梶之助】

[1750~1795]江戸後期の力士。第4代横綱陸奥むつの人。横綱在位4年8か月。優勝21回。63連勝の記録をもつ。一説には、実質的な横綱の初代ともいわれる。→第3代横綱丸山 →第5代横綱小野川

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精選版 日本国語大辞典 「谷風梶之助」の意味・読み・例文・類語

たにかぜ‐かじのすけ‥かぢのすけ【谷風梶之助】

  1. 江戸後期の力士。第四代横綱。陸奥の人。二〇歳で江戸本場所に初登場。四〇歳で横綱となる。身長六尺二寸五分(約一八九センチメートル)体重四三貫(約一六一キログラム)の大型力士で、安永七年(一七七八)から四年間無敗で、六三連勝の記録がある。風邪のため、現役中に四六歳で没。寛延三~寛政七年(一七五〇‐九五

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改訂新版 世界大百科事典 「谷風梶之助」の意味・わかりやすい解説

谷風梶之助 (たにかぜかじのすけ)
生没年:1750-95(寛延3-寛政7)

第4代横綱。陸奥国七郷村霞目(現,仙台市)に生まれる。本名金子与四郎。1769年(明和6)初土俵。巨人のため当時流行の看板大関に付け出されたが,伊勢ノ海部屋入門前に伊達氏の重臣白石城主片倉氏に召し抱えられ相撲修業していた。現役中の95年,流行性感冒のため帰郷療養中病没。このため江戸では感冒を〈谷風〉といっておそれたという。その間27年44場所,負けはわずか14回,63連勝,京坂場所を入れると98連勝,天下無敵の名をとどろかせた。1789年(寛政1)小野川喜三郎とともに初の横綱免許を受けた。189cm,169kg,腹の周囲217cmもあるアンコ型。講談寛政力士伝》の大スターで,その人徳は〈谷風の七善根〉の美談もあり,江戸歌舞伎の《先代萩》には筋に関係なく登場させた人気者。〈わしが国さで見せたいものは,むかしゃ谷風,いま伊達模様……〉と仙台の俚謡にうたわれている。
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朝日日本歴史人物事典 「谷風梶之助」の解説

谷風梶之助

没年:寛政7.1.9(1795.2.27)
生年:寛延3(1750)
江戸時代中期の力士。その名はすぐれた力士の代名詞として200年後の今日も通用している。陸奥国宮城郡霞目村(仙台市)の農夫出身。本名金子与四郎。白石藩にかかえられて相撲の修業をした。明和6(1769)年大関(看板大関)付け出し。この人の前に谷風を名のる力士が12人いたが,この谷風があらわれてからは,谷風といえば仙台の谷風をさす。明治に入っておなじ奥州出身の大男で横綱となった大砲万右衛門がこの名をつぐようにと声がかかったが受けず,大関駒ケ岳も断った。谷風は寛政1(1789)年,小野川喜三郎と共に横綱免許を受けた。史上第4代横綱。189cm,169kg,肥満型である。講談師に有徳の人として語りつたえられて,悪いうわさはすべて対立する小野川にかぶされた。寛政7年流行性感冒のため現役の横綱のまま死去。このためインフルエンザを谷風と呼ぶ。27年間44場所をつとめ負けは14回。連勝63(京坂場所をいれると98連勝)。当時は引き分けと無勝負あずかりが多かったので,伝説としての数字である。小野川が谷風に勝つとこれは同時代ニュースとなり,天明狂歌に「手練せし手を蟷螂がおの川や かつと車のわつといふ声」(菅江),「谷風はまけたまけたと小野川が かつをよりねの高いとり沙汰」(赤良)とよまれている。

(鶴見俊輔)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「谷風梶之助」の意味・わかりやすい解説

谷風梶之助
たにかぜかじのすけ
(1750―1795)

江戸時代の強豪力士。寛延(かんえん)3年、仙台市若林区霞目に生まれる。幼名与四郎。生家は代々金子弥右衛門と名のった。谷風は江戸力士関ノ戸億右衛門(のち2代伊勢ノ海(いせのうみ))の仙台巡業中にみいだされ、1769年(明和6)19歳のとき江戸深川八幡(はちまん)興行に、巨体のため当時の風習である看板大関として初土俵を踏み、以後、95年(寛政7)45歳で現役中に帰郷してかぜのため病死するまで27年間、江戸、大坂、京都の大場所を70場所勤め、負けはわずか20回で三都に天下無敵の名をとどろかした。仙台伊達(だて)家の抱え力士で、89年好敵手小野川とともに初めて横綱土俵入り免許を受け、現在は4代目横綱に数えられている(3代目までは架空)。身長189センチメートル、体重169キログラムのあんこ型巨人で、7場所連続無敗の記録が2回あり、多くの錦絵(にしきえ)肖像画が残されている。

[池田雅雄]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷風梶之助」の解説

谷風梶之助(2代) たにかぜ-かじのすけ

1750-1795 江戸時代中期-後期の力士。
寛延3年8月8日生まれ。江戸の関の戸(2代伊勢(いせ)ノ海)に入門。秀ノ山,達(だて)ケ関から安永5年谷風を名のる。寛政元年小野川喜三郎とともに横綱となる(第4代)。21回優勝し,63連勝を記録,「谷風の前に谷風なし,谷風の後に谷風なし」といわれた。身長188cm,体重160kg。寛政7年1月9日死去。46歳。陸奥(むつ)霞目(かすみのめ)村(宮城県仙台市)出身。本名は金子与四郎。

谷風梶之助(初代) たにかぜ-かじのすけ

?-? 江戸時代中期の力士。
江戸深川八幡の東西大相撲(おおずもう)で西方の沖の舟をやぶる。讃岐(さぬき)高松藩主松平家のお抱え力士となり,享保(きょうほう)年間(1716-36)に活躍,9年間無敗であったといわれる。身長191cm,体重154kg。陸奥(むつ)刈田郡(宮城県)出身。本名は鈴木善十郎。

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百科事典マイペディア 「谷風梶之助」の意味・わかりやすい解説

谷風梶之助【たにかぜかじのすけ】

力士。陸奥(むつ)の人。19歳のとき関ノ戸の門に入り,1789年第4代横綱。入幕以来47場所,309戦258勝,優勝22回。同時に第5代横綱になった小野川喜三郎と江戸相撲の人気を二分した。
→関連項目雷電為右衛門

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「谷風梶之助」の意味・わかりやすい解説

谷風梶之助
たにかぜかじのすけ

[生]寛延3(1750).8.8. 仙台
[没]寛政7(1795).1.9.
江戸時代後期の力士。 63連勝の記録をもつ大力士で,江戸勧進相撲の隆昌に大きな功績を残した。寛政1 (1789) 年 11月冬場所興行中の深川八幡宮境内で,吉田司家 (よしだつかさけ) から小野川とともに,最初の横綱土俵入りの儀式の免許を受けた。明治になって第4代横綱に数えられた。

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367日誕生日大事典 「谷風梶之助」の解説

谷風梶之助(2代目) (たにかぜかじのすけ)

生年月日:1750年8月8日
江戸時代中期の力士
1795年没

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世界大百科事典(旧版)内の谷風梶之助の言及

【小野川喜三郎】より

…大坂相撲から1779年(安永8)江戸へ出て二段目筆頭(いまの十両)に付け出される。久留米有馬侯に召し抱えられ,当時8場所土つかずの谷風梶之助を破り,〈谷風は負けた負けたと小野川や かつをよりねの言いとり沙汰〉と蜀山人の狂歌で大評判となった。この時期,勧進相撲は黄金時代を迎え,徳川将軍上覧相撲にそなえ,89年(寛政1)谷風とともに前例のない横綱土俵入り免許を受けて観客の目を見張らせた。…

【寛政力士伝】より

…講談。4代横綱谷風とその弟子雷電および小野川の3名の力士を中心に,佐野山の孝心,稲川の義俠などを描く。なかでも谷風の七善根,雷電の封じ手,小野川雷電遺恨相撲などがおもしろい。小田原の仇討相撲は一席物として今日でもよく演じられる。これを語って有名な真竜斎貞水(しんりゆうさいていすい)(のちに早川貞水,1917没)は国技館木戸御免であったし,貞鏡時代の1896年に《寛政力士伝》を刊行した。【吉沢 英明】…

【横綱】より

…横綱に関する古文書は少なく,1773年(安永2)に行司式守五太夫の書いた伝書によると,その起源は,城や屋敷を建てるときの地鎮祭に大関2人を招き,おはらいの地踏みを行ったが,その儀式免許を京都五条家が〈横綱之伝〉を許すといったことから始まったとされる。これを職業相撲の興行の土俵に移したのが吉田司(よしだつかさ)家で,89年(寛政1)11月場所中に,初めて谷風梶之助小野川喜三郎の両関脇(実力大関)に,〈横綱〉というしめ縄を腰にまとって土俵入りする免許を与えた。当時,横綱は腰にまとったしめ縄をさすのみで,もちろん番付には関係がなく,また大関の称号でもなかった。…

※「谷風梶之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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