日本歴史地名大系 「下田万村」の解説 下田万村しもたまむら 山口県:阿武郡田万川町下田万村[現在地名]田万川町大字下田万(しもだま)阿武郡の北東端にあって、北は日本海、東は石見国、西は江崎(えさき)村、南は上田万(かみたま)村と接する。村内を田万川が北流して日本海に注ぎ、石州街道(仏坂道筋)が通る。奥阿武宰判所属。「和名抄」の多万(たま)郷の地とされ、「注進案」が江崎村の西堂(さいどう)寺の項に載せる「石見国益田町勝達寺権現社に唯今有之」と記す応永三年(一三九六)の古鐘銘に「長州阿武郡多万郷江津村済渡寺」とある。この済渡(さいど)寺は現西堂寺の前身と伝えることから、江崎村(江津村)も多万郷に含まれていたことになる。文正元年(一四六六)三月二七日付の氷上山興隆寺文書(「寺社証文」所収)によれば、多万郷内に興隆(こうりゆう)寺(現山口市)三重塔婆の料所として、一五石と五石の地があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by