日本歴史地名大系 「下相村」の解説
下相村
おりあいむら
太閤検地の石高は二二九石七斗一升で、耕地面積の比率は田七〇パーセント、畑三〇パーセントであったが、寛文検地では石高が約二・六倍に増加し、耕地の比率は田五五パーセント、畑四五パーセントと変化している。「墅截」による村柄は「上」、耕地は田・畑とも「中ノ下」、水掛りは「吉」である。鬮持制実施期の本百姓一人前の耕地は田四反六畝二一歩、畑三反八畝七歩であり、百姓数五八人のうち本百姓三五人、半百姓一八人、四半百姓四人、庄屋一人に分れている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報