下石森村
しもいしもりむら
下神内川村の東、上石森村の東にあり、笛吹川の支流重川が村の南を流れる平地に広がる。中世は石森とよばれたが、のち東・西に分割され、戦国期には西石森が下石森と称されるようになったと考えられる。下石盛村とも記した。枝郷に上組・南組がある(明治三年「村明細帳」山梨県史資料叢書)。慶長古高帳では高三三二石余、幕府領。ほかに権現領(現山梨岡神社)二石余。寛永一〇年(一六三三)旗本石谷(石貝)・榊原領となる(「寛政重修諸家譜」、「貞享二年采地簿」臆乗鈔、元禄郷帳)。宝永二年(一七〇五)甲府藩領となり、以後の領主の変遷は小原東分村に同じ。宝永七年の検地帳(県立図書館蔵)によると高三九七石余、反別は田二二町五反余・畑一八町五反余・屋敷四町八反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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