下秋里村(読み)しもあきさとむら

日本歴史地名大系 「下秋里村」の解説

下秋里村
しもあきさとむら

[現在地名]上月町下秋里

円光寺(えんこうじ)村・久崎(くざき)村の西、佐用川支流秋里川の狭い谷間に立地する。両側の山地は急峻で標高三〇〇メートルを超え、多くの小谷がある。播磨から備前に至る道が谷底を通る。江戸時代の領主の変遷は上月村に同じ。慶長国絵図に明里村とみえ、もとは秋里村一村であったが、正保三年(一六四六)上・下に分村したという(吉田家文書)。正保郷帳はまだ秋里村一村で高付されており、田方一七五石余・畠方二六〇石余、旱損所の注記がある。元禄郷帳には「古ハ秋里村」の注記付きで下秋里村がみえ、高一四三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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