下粟生村(読み)しもあおむら

日本歴史地名大系 「下粟生村」の解説

下粟生村
しもあおむら

[現在地名]川北町たちばな

朝日あさひ村の東、手取川下流北岸に立地。もとは手取川南岸にあったが、川の南遷の結果、元禄一五年(一七〇二)にはついに北岸の橘村の南へ移住を余儀なくされたという(川北村史)。江戸時代は加賀藩領であったが、寛永一六年(一六三九)から万治二年(一六五九)までは越中富山藩領。正保郷帳に村名がみえ、「同新村浜村共ニ」と注記される。高八四四石余、田方四〇町六反余・畑方九町とあるが、手取川南遷の影響を受けたようで、寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると高一九石と激減している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android