日本歴史地名大系 「下草井村」の解説
下草井村
しもくさいむら
もと上草井村と一村をなした。寛元三年(一二四五)正月一七日の安芸沼田新庄内吉名草井黒谷譲状写(小早川家文書)に、小早川季平(沼田新庄方の祖)の妻が子季康に譲る地頭職のうちに「くろたに」とみえるのは当村の字黒谷のことで、季康は竹原の小早川政景の妻となった娘の子供に黒谷などの地頭職を譲っているので、黒谷などの地頭職はのちに新庄方から竹原方に移り、この後は上草井村と同一村として扱われている(同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報