下菅又村(読み)しもすがまたむら

日本歴史地名大系 「下菅又村」の解説

下菅又村
しもすがまたむら

[現在地名]茂木町下菅又

坂井さかのい村の西に位置し、集落は中央部を東流する坂井川分流の菅又川の谷沿いと背後の丘陵地に、かみ・下の二組に分れて形成される。鎮守菅釜すがま神社境内に釜の形をした「スガマ」という石穴があり、水をたたえて信仰の泉となっていた。地名はスガマが訛って、菅俣・菅又と変化したものであるという。もと上菅又村と一村で菅釜村と称したが、寛文年間(一六六一―七三)または延宝八年(一六八〇)に両村に分村したという。しかし郷帳類では菅俣村一村が記され、慶安郷帳では田方一二〇石余・畑方三一石余、元禄郷帳では一五二石余、享保年間(一七一六―三六)には五六一石余(茂木明細記)、天保郷帳では八二五石余。近世はおおむね常陸谷田部藩領。寛政年間(一七八九―一八〇一)頃より下菅又村の名称が史料みえ、旧高旧領取調帳では下菅又村は茂木藩(谷田部藩)領分五六三石余・明神社除地一石三斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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