下蒲生村(読み)しもかもうむら

日本歴史地名大系 「下蒲生村」の解説

下蒲生村
しもかもうむら

[現在地名]上三川町下蒲生

川左岸の低地に位置し、南西端を田川、東を無名瀬むなせ川、西をぬくい川、中央部を赤沢あかさ川が南流する。南は五分一ごぶいち村、成田なりた(現南河内町)。地名の由来は坂上田村麻呂が蝦夷平定の途次、当地に二荒山神社を勧請して戦勝を祈願し、神のお告げにより蒲の穂を鎧の背に差して戦ったところ、大勝したので一宇を建立して蒲生大明神と称し、地名を蒲生と号したことによるという(「蒲生大明神縁起」上野正辰文書)。蒲生村が上下に分れたのは、康暦年間(一三七九―八一)のことと伝える(「蒲生村沿革」柳田守一文書)

近世初めは烏山藩領。元和六年(一六二〇)検地帳(田村吉隆文書)に村名がみえ、田二一町一反余・畑屋敷二二町八反余。同八年に幕府領となる。慶安郷帳では田高二一三石余・畑高一〇二石余、幕府領と旗本根来・鈴木・大久保・杉浦の五給。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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