日本歴史地名大系 「下蒲生村」の解説
下蒲生村
しもかもうむら
[現在地名]上三川町下蒲生
近世初めは烏山藩領。元和六年(一六二〇)の検地帳(田村吉隆文書)に村名がみえ、田二一町一反余・畑屋敷二二町八反余。同八年に幕府領となる。慶安郷帳では田高二一三石余・畑高一〇二石余、幕府領と旗本根来・鈴木・大久保・杉浦の五給。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
近世初めは烏山藩領。元和六年(一六二〇)の検地帳(田村吉隆文書)に村名がみえ、田二一町一反余・畑屋敷二二町八反余。同八年に幕府領となる。慶安郷帳では田高二一三石余・畑高一〇二石余、幕府領と旗本根来・鈴木・大久保・杉浦の五給。
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