下野信之(読み)シモノ ノブユキ

20世紀日本人名事典 「下野信之」の解説

下野 信之
シモノ ノブユキ

明治・大正期の気象学者 大阪測候所長。



生年
安政2年3月21日(1855年)

没年
大正13(1924)年11月10日

出生地
江戸・湯島

旧姓(旧名)
井出

主な受賞名〔年〕
大日本気象学会表彰〔明治42年〕

経歴
幕臣の家に生れる。維新の際沼津に移り、静岡藩兵学校で学ぶ。明治5年工部省に入り、各地で測量を行い、9年内務省地理寮において気象測候のため気象掛(中央気象台)が設置されるとその掛員となる。12年和歌山県、14年宮城県、15年青森県、29年琉球諸島に測候所を建設し、観測事業を教授。この間、15年東京気象学会(日本気象学会)の設立に参加。32年大阪府に招聘され、大阪測候所長に就任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「下野信之」の解説

下野信之

没年:大正13.11.10(1924)
生年:安政2.3.21(1855.5.7)
明治大正期の気象学者。幕臣井出昇八郎の次男。江戸湯島生まれ。のち下野家の嗣子となる。明治6(1873)年工部省に入り測量に従事する。9年内務省地理寮気象掛(中央気象台)に気象伝習生として採用され,英国人技師ジョイナーのもとで,気象観測技術を学ぶ。15年の東京気象学会(日本気象学会)の設立に参加し,また各地の測候所の建設にかかわり,32年から亡くなるまで大阪測候所長を務めた。論文に「シュイサイドに罹る人の多寡は気象に関係あるの論」(『気象集誌』1巻1号)がある。<参考文献>荒川秀俊『日本気象学史』

(谷本勉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下野信之」の解説

下野信之 しもの-のぶゆき

1855-1924 明治-大正時代の気象技術者。
安政2年3月21日生まれ。工部省にはいり,各地で測量にあたる。明治9年内務省地理寮の気象掛員になり,来日中のイギリス人技師ジョイナーに気象観測技術をまなぶ。和歌山,宮城,青森の各県および琉球諸島の測候所建設にかかわり,32年大阪測候所長になる。大正13年11月10日死去。70歳。江戸出身。本姓は井出。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android