明治維新政府が工学の知識をひろめ,各種の工業を勧奨し発展させることを目的に,1870年(明治3)12月設置した官庁。富国殖産のために設置された省で,文明開化省とでもいうべき性格をもっていた。また伊藤博文が最も熱心でみずから工部大輔,工部卿に就任した。71年8月の官制で,省中に工学,勧工,鉱山,鉄道,土木,灯台,造船,電信,製鉄,製作の10寮と測量司がおかれた。その後,ひんぱんに寮の改廃や統合がおこなわれたが,77年1月に,それらが全廃され,新たに,書記,会計,倉庫,検査,鉱山,鉄道,灯台,電信,工作,営繕の10局が設置された。その中心は,旧幕府所有の鉱山等を官収した鉱山,鉄道,電信,製作部門を官営工業として経営することであった。また外国人技師を招き,ヨーロッパの新技術を導入し,留学生を派遣し,工部大学校(東京帝国大学工学部の前身)で技術教育もおこなった。明治10年代初めまでは大学よりも現業官庁系の学校(司法省の明法寮,開拓使仮学校など)のほうが待遇がよく,しかも工科系官僚のほうが法科系官僚よりも勢力をもっていた(明治20年代からは法科系がとって代わる)。しかし,政府による資本主義生産様式の移植と定着化の意図はある程度達成されたが,これらのための財政負担も増加し,官業払下げ政策の展開にともない廃止された(1885年12月)。
執筆者:佐藤 昌一郎
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明治初年の殖産興業政策担当の中心的な官庁。1870年(明治3)閏(うるう)10月、「百工勧奨」を目的として設置。鉱山、製鉄、造船、灯台、鉄道、電信などの諸分野の官営事業を推進し、また工学寮(のち工部大学校)を設け外国人教師(教頭はイギリス人ダイエル)を招いて近代技術の移植、技術者の養成と近代産業の育成に努めた。工部卿(きょう)としては伊藤博文(ひろぶみ)、井上馨(かおる)、山田顕義(あきよし)などが歴任。80年に官営事業を払い下げる政府方針が決定され、84年ごろから鉄道、電信などを除く工部省諸事業の払下げが開始されたが、工部省自身も85年12月の内閣制度設立の際に廃止された。
[永井秀夫]
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1870年(明治3)に設置され,洋式産業の移植にあたった官庁。旧幕府や諸藩の洋式工場・鉱山を引き継ぎ,また種々の新規事業をおこした。71年には工学・勧工・鉱山・鉄道・土木・灯台・造船・電信・製鉄・製作の10寮と測量司を管轄。工部大学校での技術者養成,洋式工・鉱業,運輸・通信事業の直営など広範な事業を行い,殖産興業政策の中心となった。80年以降,洋式工業移植の目的を一定程度達成したことを背景に,財政難と一部事業の経営不振を直接の理由として官営事業の払下げ方針がとられ,その結果85年に廃止。事業の一部は鉄道局・逓信省・農商務省などに引き継がれた。
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…89年6月に竣工した横須賀線の場合も,陸海軍大臣の要請によって横須賀軍港および周辺要塞への輸送線として急きょ建設された,軍事的色彩の強いものであった。鉱山,鉄道を中心とするこのような官営事業は,1870年閏10月の工部省設置によってさらに拡充された。同省は〈百工勧奨ノコトヲ掌リ,兼テ鉱山,製鉄,灯明台,鉄道,伝信機等ノ事ヲ管ス〉(《工部省沿革報告》)という建省の精神に沿って,民間工業の勧奨のほか,重要産業の直営を目的として設置されたものであり,その直営事業は当時の日本の鉱工業のなかでとびぬけた地位を占めることになった。…
…1872年(明治5)10月14日(陰暦9月12日)新橋~横浜間29kmの鉄道開業式が行われ,この日から日本国有鉄道の歴史が始まった。当時は工部省鉄道掛が運営にあたった。1906年の鉄道国有法によって幹線の私鉄が買い上げられ,07年度末にその営業キロは7153kmとなった。…
※「工部省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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