日本歴史地名大系 「下野宮村」の解説 下野宮村しものみやむら 茨城県:久慈郡大子町下野宮村[現在地名]大子町下野宮久慈川上流にあり、東は大野(おおの)村。「新編常陸国誌」によると古くは田野草(たのくさ)村と併せ黒沢下郷(くろさわしもごう)村と称したが、万治二年(一六五九)分村して下野宮村と改称したという。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高には「黒沢下郷村」とあり、同一五年の御代官郷高帳(「田制考証」所収)の村々高寄新家惣右衛門分には「下之宮村」と異記され、元禄郷帳に「下野宮村」とみえる。天保一三年(一八四二)の検地では田畠一〇八町余、分米九一四石余、新田田畠二町余、分米八石余であった。村の北寄りの久慈川西岸の波原(はばら)の地に河岸跡・河岸守住居跡があり、「水府志料」に「久慈川筋運漕此処より初て通ず、これより水上は至て水浅く、尚又大石共多くして、舟更に通じがたし」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by