日本歴史地名大系 「下之宮村」の解説 下之宮村しものみやむら 群馬県:佐波郡玉村町下之宮村[現在地名]玉村町下之宮利根川右岸台地上に位置し、対岸の北は上之宮村、東は柴(しば)町(以上現伊勢崎市)。南は箱石(はこいし)村・小泉(こいずみ)村、西は南玉(なんぎよく)村。上之宮村との間に渡船がある。当村と上之宮の両村はもともと地続きで、中世の利根川変流により分離したという。倭文(しどり)神社の鎮座地を上之宮村と称し、火雷(ほのいかずち)神社の鎮座する当村を下之宮村としたのが村名の由来であろう。 下之宮村しものみやむら 三重県:四日市市北部地区下之宮村[現在地名]四日市市下之宮町・下(しも)さざらい町垂坂(たるさか)村の東北、大矢知(おおやち)村の東南に位置し、西方を朝明(あさけ)川支流垂坂川が流れる。「神鳳鈔」に「下宮神領三(イ二)十丁」「上下宮四至神田」と出る。天正一二年(一五八四)頃の織田信雄分限帳によれば、星野新左衛門がこの地を知行していた。江戸時代は初め桑名藩領、文政六年(一八二三)以降忍(おし)(現行田市)藩領。宝永八年(一七一一)の村指出帳(徳川林政史蔵)によると戸数二〇、人数は一三九(男七一・女六八)、馬二。神社は春日大明神。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by