下金田村(読み)しもかねだむら

日本歴史地名大系 「下金田村」の解説

下金田村
しもかねだむら

[現在地名]水原町金田かねだ町・学校がつこう町・下金田

安野あんの川右岸に位置し、北は中島なかじま村、西は百津ももづ村。上金田村の新田と伝え(白川風土記)、万治二年(一六五九)村上藩松平氏の検地が行われた(寛保二年「村明細帳」五十嵐家文書)。貞享元年(一六八四)の郷村高辻帳に高七三石余とあり、元禄郷帳にはさと村枝郷と記される。宝永七年(一七一〇)幕府領となるが、その後白河藩領、幕府領などと変遷する。寛保二年(一七四二)の明細帳によれば、高七九石七斗余、田反別五町八反余・畑反別一町余、戸口は一一軒、男四〇・女二五。用水はひしヶ岳からの沢水や大平溜水、大室おおむろ山大沢から取入れた。草刈場は里村ひがし山麓にあり、百姓林は里村ほか一三ヵ村の入会で同じく東山にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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