日本歴史地名大系 「下院内村」の解説
下院内村
しもいんないむら
雄物川の上流、羽州街道に沿い、西は
文禄四年(一五九五)小野寺氏と最上氏の戦の際、
上院内・下院内はその昔、一村であったことも伝えるが、二村に分れた年代はさだかではない。「梅津政景日記」元和四年(一六一八)一一月一五日条に「院内・寺沢・小野村」とみえ、三ヵ村の年貢米が、
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には下院内村四二六石とある。
宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)によれば、高は本田四七五石一斗三升八合、新田二〇〇石二斗三升七合、合計六七五石三斗七升五合(当高六三四石八斗九升八合)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報